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日 時 |
所沢へ、1966年10月
夏休みの終了と共に、私たちは、新しい場所である所沢の臨時校舎に集合することになった。住み込みで働いていた目黒のサンコー堂書店からの荷物の搬出は、10月15日(土)の深夜、店主野田興市氏の友人である田中某氏が車を提供し、田中氏自ら運転していただいた。車の運転を行わない割には移動や引っ越しの多かった私は、荷物の搬出や搬入で実に無数の人々のお世話になったが、この田中氏はそのような恩人の一人である。
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2012/05/20 11:41 |
アリストテレスがGMを経営したら(書評)
以下は、下記書籍の書評であり、『情操と文化』(2003年10月)に掲載されたものだが、あえてここに再録したい。
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2012/05/15 06:33 |
自転車で120キロ、高崎から東京へ
群馬を最終的に出発したのは、1966年9月2日の午前3時30分であった。交通手段は自転車である。ピーターソン宣教師から処分を依頼されたサドルのない自転車とサドルはあってもタイヤが破損している自転車の部品を組み合わせ、1台の実用に耐えるものを仕立てあげ、それで東京まで、と考えたのである。当日は午前2時に起床し、黄色いTシャツにグリーンの単パン、麦わら帽子といういでたちであった。荷物は小さな段ボールとその上に夏中持ち歩いていたグレーのスーツケースを積んでゴムバンドで固定、自転車の前の籠には、水筒とお...
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2012/05/14 16:32 |
赤城、最後の夏(1966年)
自分の生涯で最も長く赤城に滞在する機会が、ほどなくやってきた。前橋のウエストバーグ氏から、その年の赤城のキャンプのすべてへのかかわりを打診され、どこも行くあてのなかった私は喜んで応じたのである。「どこも行くあてのなかった」という意味は、夏休みの期間は学生寮に滞在することができなかったので、学生は学生寮以外の場所でその期間を過ごさなければならなかった。ほとんどの学生は彼らを神学校に派遣した団体や教会に戻って夏の活動を行ったが、私は別に派遣されたわけではなく、いわんや実家に戻ることなどできなかったの...
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2012/05/13 11:39 |
『医療現場に臨む哲学』『医療現場に臨む哲学U―ことばに与る私たち―』(書評).
『朝日新聞』(2012年4月18日)は、「耕論―胃ろうと人生の終幕」という特集を行った。そこでは、中村仁一(『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の著者、医師)、宮崎詩子(東京都在宅医療会議委員)に加えて、清水哲郎氏(東北大学教授を経て、現在東京大学特任教授。哲学者)のコメントを掲載している。清水氏の2冊の著書につては、かつて『情操と文化』(2003年10月)に私の書評が掲載されているので、ここに再録したい。私が清水氏に最初に出会ったのは、1963年4月8日、まだ彼が高校生の時である。
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2012/05/12 15:07 |
『サボテンの詩』―高崎文開堂の大類文男氏
私が、ウエストバーグ宣教師の案内ではじめて高崎の文開堂書店を訪れたのは、1965年4月8日(木)の午後のことであった。その書店にはすでにキリスト教書籍の常備寄託が行われていた模様で、書店側の対応は好意的であった。私は棚の状況を確認し、今後とも継続的にお願いしたい旨を告げた。そのときにいただいたのが、大類文男『サボテンの詩』である。B6版上製本、カバー付71頁のこの小さな書籍は、1960年(昭和35年)5月18日に22歳で早逝した大類文男氏の遺稿集で、本人の「詩と祈り」「小説」「詩と感想」「座右訓...
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2012/05/11 20:05 |
夏休み前の出来事、1966年
インターンを無事終えて神学校に復帰し、新しい仕事も与えられつつあった1966年5月28日(土)に、重要な会議を開くので、白石の教会に来るように連絡があった。そこで私は前日の27日(金)午後11時50分上野駅発の夜行列車に乗って白石に向かった。「白石バプテスト教会教会員会議」は、28日(土)の午後4時から開かれ、出席者は14名であった。うち4名は米国人宣教師である。議題は、白石で活動していたR・D・クリア宣教師が8月までには韓国に移動するので、教会の責任者としての後任を決めようというものであった。...
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2012/05/09 13:58 |
東京への復帰、1966年の春
インターン先の群馬県からは直接故郷に向かい、東京の神学校には4月初めに復帰した。学生寮の部屋はインターンを終えた我々のために準備されていたが、それ以外の生活の基盤が全くなかった。しかし、さいわいなことに、当時のリグマーク校長から図書室での仕事を提案され、ほとんど毎日図書室で仕事をするようになった。これは、前任者の山崎文雄氏が仕事の都合で図書館の仕事を辞退したからである。山崎文雄氏は、私の同級生で、一緒に卒業したが、その後、同志社大学の神学部、同大学院で学び、愛媛県の東雲女子大学の理事長等を歴任す...
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2012/05/07 20:24 |
前橋の高校生たち、そしてインターンの終了
当時の前橋での集まりの中心的な存在は高校生であった。着任時の赤城のキャンプに参加した人たちはその年の4月に高校1年生となった人々であったが、その頃、国立高専第一期校として「群馬高等工業専門学校」(1962年設立)が設置されていたので、その学生や前橋高等学校の男子学生、そして中心になっていた前橋女子高等学校の生徒が参加していた。前橋女子高では、昼休みに仲間が学校の屋上に集まり、讃美歌を歌ったりしていたようだが、その中のひとりが後年群馬のみならず、全国的に知られる合唱団の
リーダーとして四半世紀以...
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2012/05/06 12:16 |
ハリー・ウエストバーグ宣教師夫妻
1年間の前橋におけるインターン生活の一番の恩人は、なんといっても前橋へ招き、右も左もわからなかった私を忍耐強く、かつ寛容に指導していただいたハリー・ウエストバーグ宣教師だ。子ども集会を立ち上げるために宣伝カーで近隣の案内を行い、日曜日の夜の吉井町の集会のためにも多くの努力を重ねた。また、キリスト教書籍の委託販売のためには、私と一緒に高崎、前橋、渋川の書店を訪問し、キリスト教番組の宣伝や各種印刷物の製作のためには前橋の刑務所を共に訪問した。そして何よりもまだ道路の整備されていなかった赤城山に何度も...
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2012/05/05 11:25 |
若き日の茂木正男氏と高崎映画祭
高崎映画祭を創始し、「シネマティークたかさき」の総支配人であった茂木正男氏がまだ十代であった頃のことを私は知っている。
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2012/05/03 18:51 |
夏の来客、ロバート・ジョンストン氏
1965年の夏、赤城のキャンプ場は、米国から二人の来客を迎えた。6月にカリフォルニアの高校を卒業し、9月からスタンフォード大学への入学が決定していたロバート・K・ジョンストン(Robert K. Johnston)氏とその友人である。
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2012/05/01 19:01 |
からす組
私が前橋にインターンとして赴任した1965年は、東部興業の赤城山開発が進行中ではあったが、県営の有料道路(赤城白樺ライン)はまだ完成していなかった。高校生のキャンプが終わった後の私の最初の仕事は、まだ十分に整備されていなかった山荘の周辺(旧「ダン・ロッジ」)の庭に砂利を撒くことであった。これは、神学校で半日だけ行った「天井のペンキ剥がし」よりはハードで、スコップとツルハシによる作業であった。また、テラスには「赤城クリスチャン青年荘」という看板を取り付けたり、当時山荘の管理を担当していたウエストバ...
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2012/04/30 10:28 |
群馬へ
神学校の同級生たちがあいついでインターン先が決まる中、まったくあてもなく過ごしていた私が、当時のメルボルン・メットカーフ校長から、「前橋はどうか」と打診を受けた。選択の余地のない私はもちろん喜んで赴任する旨を告げると、上京中の宣教師、ハリー・ウエストバーグ氏を紹介された。ウエストバーグ氏は実務的で率直な方であったので、主要な日程と赴任先である前橋クリスチャンセンターまでの案内図を書いていただいた。私の前橋赴任はこのように一瞬で決定したのである。
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2012/04/29 13:38 |
箱根小涌園でのコンベンション
私が最初に在学した神学校の「神学科」というのは5年制で、最初の2年間を学内の授業で学び、間の1年間をインターンとして教会での実習に充てられ、残りの2年間で再び学内の授業が課されることになっていた。いよいよインターンの時期が近づいてきたものの、私にはまったく赴任すべきあてがなかった。
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2012/04/26 17:10 |
再びの赤城へ
クリスマスに先立つこと1ヵ月余の11月3日(火曜日、文化の日)、神学校のリトリート(修養会)のため、全校生で群馬県の赤城山へ向かった。私が前年の夏にカベナント教会の夏季修養会のために赤城を訪れたときには、まだ「青雲荘」という名であった山荘を、宣教師団が購入し、「赤城クリスチャン青年荘」となったのである。このときは、まさか翌年自分が前橋に赴任してみたびこの赤城に来るとは全く考えてもいなかったのである。ただ、その澄んだ大気と太陽の光、また穏やかに横たわる大沼の姿(写真3)に私はすっかりとらえられてし...
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2012/04/25 18:49 |
秋田・十文字町へ
東京共済病院を退院し、しばらく通院を重ね、やがて通院不要となったものの、体調は思うようにならず、9月初めに一度三島に行き、迷惑をかけたお詫びと辞任の表明を行った。担当を外れたことはそれだけ時間が生まれたわけであるが、収入の道を断たれたことも意味し、以後翌年の3月までは、身体的にも、経済的にも最も困難な時期であった。その日の出来事を記録する日録のようなものはただ空白で、ひたすら聖書のことばとその瞑想のようなものを書き連ねていた。仕事を探しながら街を彷徨し、いつの間にか青山墓地に足を踏み入れ、かつて...
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2012/04/23 16:54 |
1964年頃のファンダメンタリズム
1964年の私の入院の前後の出来事のひとつは、6月23日(火)〜24日(水)に行われたJPC(日本聖書信仰同盟)の講演会である。挨拶をしたのは、当時日本キリスト改革派東京恩寵教会牧師であった常盤隆興、講演は神戸改革派神学校の岡田稔であった。フロアからの発言者で印象に残っているのは、米国長老教会のW・A・マキルエン(William A. McIlwaine, PCUS)と、美濃ミッションのエリザベス・アリス・フィウェル(Elizabeth A. Whewell)であった。
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2012/04/21 20:48 |
危機の夏
東京で迎えた二度目の夏に、私は予測もしない危機を経験することとなった。私は6月の末から体調を崩し、発熱のために数日学生寮で寝込んでいたが、いよいよ夏休みを迎えることになり、派遣されている三島での集会の準備のために、7月3日(金曜日)の朝はどうにか起き上がり、洗面をしていたところ鼻出血があり、それがなかなか止まらなかった。そこで学校側が相談の上、東京共済病院に搬送されることとなった。それは、エヴァグリーン英会話学院の創立者でもある内藤常司氏の親しい方がその病院の事務長をされているとのことからであっ...
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2012/04/18 18:41 |
加速する時間、19歳の春
父の火葬の日は、私の19歳の誕生日であったが、翌日には東京へ戻り、火曜日から始まる学年末試験に備えなければならなかった。この時、試験対象となったのは次の科目である。
火曜日 英語、牧会学
水曜日 イザヤ書釈義
木曜日 心理学、説教学、ヘブル語
金曜日 英会話、ギリシア語、比較宗教
土曜日 Public Speaking(斎藤美津子教授担当)
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2012/04/16 17:31 |