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zoom RSS 大鷹沢―溶明期の記憶

<<   作成日時 : 2011/12/27 15:13   >>

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自分と世界のリアリティに気づくためには、実に長い時間がかかった。おそらくそれは昭和45年(1970年)、25歳の頃であり、それまでの期間を、私は「溶明期―目を瞑って生きた時代」と考えている。中学時代には少しばかり自分を取り巻く環境に気づきつつあったが、16歳になってキリスト教に接するようになってからの10年間はまさに自分と世界の現実に対して目を瞑っているような状態であった。

自分が保存している自分についての最古のドキュメントは小学校3年の時の作文であり、それ以降の日記の大半は同様に保存されている。また、写真は、ここに掲載する小学校2年の時のものが最も古く、単独で撮影されたものでは小学校4年の頃のものが最古の写真だ。過去の記憶はこれらの媒体の助けを受けなければなかなか正確には持続することができない。それでも、就学前の記憶のいくつかをたどってみよう。

まず、兄、おそらく次兄であると思われるが、兄におんぶされて「飛行機山」に行った記憶がある。飛行機山というのは村の北部にあり、戦時中に戦闘機を隠しておいた場所のようだが、戦後そこで、飛行機ガラスなどを拾い、停電の際の明かりがわりに用いたものだ。ただ、これは私がおんぶされて行ったという話を聞いて記憶しているのか、行ったことを本当に記憶しているのかはわからない。同様に、母の実家である伊具郡北郷(現在の角田市)に行った際に、炉端でごはんに灰をかけたということも、あとから聞いて記憶となっているのか、自分の直接の記憶であるのかはわからない。入院していた朝倉医院でおもちゃの車をいじった記憶はたぶん本物の記憶であろう。また、近隣の松崎五郎さんのお宅から絵本のようなものを借りてきたりしたことも自分の記憶だ。

これまでの生涯で両親以外に最大の恩を受けたのは前記の次兄であるが、私が小学校に入学した年には仙台のラジオ屋兼自転車屋に就職したので、同居の期間は短い。それでも、両親が不在の際に世話をしてもらい、食事を食べさせてもらったことや、桑の実を取りに行った記憶がある。そして、幼年期から小学生時代への連続した記憶は横根という部落の人たちとの交流だ。「ふくいっつぁん、くまおんつぁ、めがねてつお、べごてつお、くにお、おやぎさん」等がそれらの人々のあだ名だで、私の幼児の記憶を呼び出すための記号のようなものだ。「ふくいっあん」とは、後年会う機会があったが、それ以外の人々は遠く私の記憶の中だけに住んでいる。「くまおんつぁ」はいつも山盛りの白菜の漬物を前にしてお酒を飲んでいたし、めがねてつおは、冗談でお寺の堂宇に火をつけるまねをし、私はその傍で犬に追いかけられていた。べごてつおは後年近隣で自転車屋を開業したので、最も長い間知り合いであった。その弟のくにおは天才的に石投げが上手で、オイカワという魚を石投げで獲ることさえできた。天桂院の庭での彼らとの遊びは、多くの場合「くぎさし」で、遊びに行くのは近隣の「谷津川」であった。そして、時間はいつもゆるやかに流れていた。

私が、これらの溶明期から次第に目を覚ますのは、それから20年も後のことであった。

<写真1>大鷹沢小学校2年赤組の写真(担任は小川敏子先生)
<写真2>小学校4年生頃の写真(次兄撮影)
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