目黒への帰還

目黒の神学校本館の工事が完成したのは1967年3月のことであり、15日には所沢から目黒への帰還を果たし、その年の卒業式は、3月17日(金)新装成った校舎で行われた。翌日から神学校は春休みに入り、私は春休みの期間は故郷に帰ることを決意し、3月22日(水)、すでに天拝院を去って、麻生寛道市長の斡旋で白石市寿山の市営住宅に入居していた母のところに到着した。当時、母は自衛隊を退官して白石市内の工場に就職していた三番目の兄と同居していた。白石を出発したのは4月9日(日)であるから、この時私は、1963年4月8日に故郷を離れて以来最も長い期間を白石で過ごしたことになる。滞在中に私は多くの人と会い、兄とは一度近隣の山へ行ったことがある。1963年の上京の朝、ご挨拶した重森都先生が亡くなられたことを知ったのもこの時である。

4月9日の日曜日は、白石バプテスト教会で説教をし、午後5時8分の列車で福島へ移動、福島バプテスト教会の夕拝でも説教を行い、午後11時8分の夜行列車で東京へ向かった。

神学校には午前6時30分に到着し、引っ越し荷物の開梱作業や休憩等の後、午後は所沢での家庭教師のアルバイトに向かった。所沢での家庭教師は、市街の担当は3月で終了したが、新所沢の方は東京へ戻った後もしばらく継続された。その年の入学式は4月11日(火)に行われ、同日に開催された学生会の総会で私は新年度の学生会長に選出された。また、新しく設置された図書室への書籍の搬入や整理は私が仕事として担当することになった。

以前神学校のディーン(学監)であった堀川勇氏は当時退任しており、前年度から大山武俊氏に代わっていた。新しい校舎には、校長室の隣に学監室が設けられ、校舎に接続して学監の居宅や、3階の女子寮に隣接した寮長室が設置され、ドイツ同盟宣教師団(現在の同盟福音基督教会の母体)から派遣されたエミー・ミューラー教授が住むこととなった。私はこのミューラー教授に当時ドイツ留学を希望していた岳藤豪希氏を紹介し、程なく岳藤氏のドイツ留学が実現することとなった。岳藤氏のドイツ滞在は長期に及んだが、その間に彼は婚約者と出会い、帰国後は、我が国有数の教会音楽家として知られるようになった。

1966年以来、新たに学監に就任した大山武俊氏は岡山大学出身で、シカゴのノースパーク神学校で学んだ。出身母体はスウェーデン系の「日本聖約キリスト教団」である。また、1965年の秋には、シカゴのノースパーク大学に留学していた伊藤淑美氏が帰国し、196年の新学期から本格的に教授として活動していた。私はこの伊藤教授から外国書購読のテキストとしてC.S.ルイスの著作の指導を受け、大山教授からは、従来のファンダメンタリズム以外の神学者たちの思想について多くを学ぶこととなった。同時に、図書室の蔵書の大半を占めていたのは、東京神学塾の長谷川真氏の旧蔵書であった。

生活と学びの拠点が目黒に移ったことから、教会での活動は東京聖書教会が中心となり、私は教会学校の教師もつとめるようになった。聖契神学校における最終学年はこのようにして始められることとなったのである。
<写真>C. S. ルイス『Mere Christianity』
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