若き日の茂木正男氏と高崎映画祭

高崎映画祭を創始し、「シネマティークたかさき」の総支配人であった茂木正男氏がまだ十代であった頃のことを私は知っている。

茂木氏と初めて会ったのは、1965年5月23日、群馬県の吉井町でのことである。当時、前橋のウエストバーグ宣教師が吉井町で開いていた集会が、会場の都合で継続できなくなり、町内の民家を借りて毎週日曜日の夜に集会を開くこととなった。その担当が私であり、最初の参加者は3名で、以後1人~3名で続けられた。茂木氏は、前橋で開かれた交流会にも参加したことがあり、前橋の人たちとはその後も交流があったようだ。

当時の茂木氏に特徴的であったのは、いつもイタリア語の辞書をもっていたことだ。いつかイタリアに行きたい、と語っていた。後年新聞に掲載された写真はこの頃の面影を伝えており、心は「なで肩」で、人と向き合うときの笑顔はとても人間的でやさしいものであった。しかし、その頃からおそらく映画への情熱をもっていて、後年NTTに在職のまま高崎映画祭を立ち上げ、多くの人々の協力を得ることによって,おそらく映画史に残る意味のある仕事を粘り強く続けたのである。その活動は無数の人々に影響を与え、映画の製作や鑑賞において新しいパラダイムを作り上げたのである。

茂木さんは1947年3月生まれで、私より丁度2歳年下だが、定年までNTTに勤務し、生涯の仕事をやり終えた人物だ。その訃報を私に伝えたのは、私の前橋時代の知友で、丁度前橋時代の「同窓会」を計画していたさなかの茂木氏の死であったようだ。2008年11月15日、在宅療養のまま舌ガンで亡くなった茂木氏と最後にお会いしたのは、1966年3月6日のことで、その日の出席者は茂木氏一人であった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック