高崎映画祭の創始者茂木正男さんがいた教会

高崎映画祭の創始者茂木正男さんがいた教会、
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去る9月29日(日曜日)の午後、前橋聖契キリスト教会で開催された同教会創立50周年記念式典に参加した。それは、この教会の草創期である1965年3月~1966年3月に、当時神学校の学生であった私が、実習生として宣教師の補佐をすべく滞在したからである。

当時この教会は、「前橋クリスチャンセンター」という名称で、赤城に設置された「赤城クリスチャン青年荘」の管理運営やラジオ番組の宣伝、書店に対するキリスト教書籍の常備寄託等を行っていた。そして、もうひとつの私の任務は当時多野郡吉井町で開かれていた小さな集まりを運営することであった。その集まりで出会ったのが後に高崎映画祭を創始することとなる茂木正男氏であった。毎週日曜日の午後6時30分から薄暗い民家の一室で私が聖書の話をし、その後さまざまなディスカッションをするのであるが、茂木さんはいつも聖書の他にイタリア語の辞書を持っていた。

1966年3月で前橋での任務を終えて私は東京へ戻ったが、吉井町の人といっても2~3人であるが、その後は前橋の教会へ参加することになり、前橋で洗礼を受けるようになったようだ。今回の式典に合わせて木暮達也氏(渋川カベナント教会牧師)が制作したスライドの中に、いくつか茂木さんの顔を確認することができる。ひとつは日時不明であるが、おそらく1966年の秋、前橋で開催された清水氾(ひろむ)氏の講演会に茂木さんが参加しており、同年の12月に前橋で行われたクリスマス会の写真にも茂木さんの顔が見える。スライドには1965年と表記されているが、1966年の誤りであろう。さらに、茂木さんは、赤城で開催された1967年の冬の青年キャンプにも参加している。

そして、今回もっとも驚いたことは、1967年3月17日付で発行された『希望の丘』に、茂木正男さんの文章「夕やけ空」が掲載されているのだ。しかも、同じ号に当時東京にいた私の原稿も掲載されている。また、巻末には次のような茂木さんのプロフィールが掲載されている。

 「茂木正男(20歳)。高崎電々公社勤務。女性よりも良く気がつき、とても活動的。だから背広がすぐほころびる。それがまた素敵でよく似合う(真面目な背広はダメ)。怒ったことのないやさしい頼りになるおにいさんです。P.P.M.が好きで、共演する大きな夢をもっています。今度住所が変更。吉田、山田両君と高崎ピーターソン宅(元)で、自炊生活をはじめる。“食ワせるに大変だ。”かせぎきれないネ。

上記で言及されている高崎のピーターソン宅というのは、1966年の夏、私がしばらく留守番をした後、東京に向け自転車で出発した家だ。

これらの記録は、若き日の茂木さんの様子を伝える貴重なものだと私は考えている。茂木さんが高崎映画祭を立ち上げたのは、それから10年以上を経てからである。また、茂木さんがデビュー作以来一貫して支持し、応援していた是枝裕和氏の作品「そして父になる」が、第66回カンヌ映画祭で審査委員賞を受賞したのは、それよりもさらに46年後のことであり、茂木さんは既に鬼籍に移られた後であった。

<写真上>
前橋聖契キリスト教会創立50周年記念式典
<写真下>
式典で祝辞を述べる筆者
<参考資料>
遠藤千舟「前橋クリスチャンセンター開拓期の思い出」
(『創立50周年記念誌』前橋聖契キリスト教会,2013年9月29日)
木暮達也編「前橋聖契キリスト教会創立50年周年記念」
 http://youtu.be/9JdtuZMem-4
遠藤千舟「若き日の茂木正男氏と高崎映画祭」
 http://ahobaraseijo.at.webry.info/201205/article_2.html
遠藤千舟「茂木正男さんに電話しよう」
 http://ahobaraseijo.at.webry.info/201305/article_1.html

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