軽井沢の40年


軽井沢の40年
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軽井沢をはじめて訪れたのは、1974年か1975年頃ではなかったかと思う。職場の同僚たち10人ほどで貸別荘を利用して滞在した。このときは、現在の外回りの循環バスのコースを自転車で回り、早朝ひとりで離山の頂上に登ったこともある。これは二つの夏にわたって行われ、三度目は、二月頃、雪が大量に積もっている季節に、当時出版健保組合が運営する「すずかり」で合宿し、会議を行ったときだ。このときの経験がもとになって、結婚した年(1977年)の夏、家内と「すずかり」に宿泊し、「鬼押し出し」等へ行った。

本格的に軽井沢に毎年行きはじめたのは、長女が小学校2年生になったときで、1983年のことだ。長女が小学校3年のときに次女が生まれ、さすがにその年は長女と二人だけで軽井沢に行ったが、翌年は1歳になった次女も一緒に家族4人で軽井沢を訪れることになり、それぞれが社会人となり、さらには結婚してそれぞれの家族単位で活動するようになるまでは4人で毎年の夏軽井沢を訪れた。それは短い夏の一瞬ではあったが、子どもたちの成長の大切な背景となっている。軽井沢では特別なことを行うのでなく、写真のように毎年塩沢湖の同じ場所でしゃぼん玉あそびをし、楽焼をする位のものである。子どもたちがクレープを食べている間に、私は、向側の古書店に立ち寄っていたが、この軽井沢唯一の古書店も数年前に消えてしまった。クレープ屋は2014年の今年も営業していた。

軽井沢にこだわった私自身のモティベーションは、若い時代に関心をもった室生犀星と彼と交流した人々の多くが軽井沢に関わっていたからである。その意味ではもっとゆっくりと周辺を歩きたいと思っていたが、主役は家族であるとも思っていた。自分の好みからショーハウスや雲場池は必ず家族で訪れたものだ。いつの間にか楽焼は下火になり、街も少しずつ変貌しつつある。そして、長女や次女のいない今年は、ついに自転車に乗ることはなく、循環バスや路線バスで移動し、夏の終わりの軽井沢をよたよたと歩くようになったのである。

<参照>
「軽井沢における犀星資料展」『室生犀星研究』第21号, 2000.9.
「小説と『本』の芸術性―室生犀星と栃折久美子をめぐって」『室生犀星研究』第23号,2001.10.
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