秋田・十文字町へ

東京共済病院を退院し、しばらく通院を重ね、やがて通院不要となったものの、体調は思うようにならず、9月初めに一度三島に行き、迷惑をかけたお詫びと辞任の表明を行った。担当を外れたことはそれだけ時間が生まれたわけであるが、収入の道を断たれたことも意味し、以後翌年の3月までは、身体的にも、経済的にも最も困難な時期であった。その日の出来事を記録する日録のようなものはただ空白で、ひたすら聖書のことばとその瞑想のようなものを書き連ねていた。仕事を探しながら街を彷徨し、いつの間にか青山墓地に足を踏み入れ、かつて活躍した外国人宣教師たちの墓の前に立ち、決意を新たにしたものの、日々の重荷は必ずしも軽減されることはなかった。そのような中でも、神学校入学以来ささえていただいた教会や関係者の方々からは継続的に支援していただいたので、なんとかその期間を過ごすことができたのだ。

その年のクリスマスが間近にせまった頃、ギリシャ語等の指導を受けていた村瀬俊夫教授から、秋田県十文字町でのクリスマス説教のお話があった。それは、村瀬教授がかねてより東北地方に展開する保守バプテストグループと親しくされていたことと、十文字の教会で活動する卒業生からの依頼があったためである。私の任務は、12月25日(金)、夜のクリスマス特別集会で説教することであったので、当日の朝神学校を出発し、奥羽本線で十文字に向かった。集会は少人数であったが、心あたたかく迎えていただき、夜は教会堂の講壇裏の小部屋に宿泊した。集会の後は、その頃は教会の集まりに参加していないが、かつて役員をされていたという方のお宅に伺い、歓談した。その方は、私が在学する神学校をその年の3月に卒業した細川良子さん(後年吉岡夫人、1997年9月14日没)の実兄の方であった。また、滞在中一切のお世話をいただいたのは、聖契神学校の卒業生である佐々木シゲさんの弟さんで、大変実直そうな方であった。翌日の朝早く、十文字を出発する私を駅まで見送りに来ていただき、ゆで卵6個をいただいたことを今でも覚えている。それは、私にとってはダイヤモンドのようなものであった。

その教会は、現在の秋田県横手市十文字町の中心地に所在する「東北聖書バプテスト十文字教会」で、教会堂が建設されたのは、1949年6月、ヴォーリズによって設計されたものである。W・M・ヴォーリズは、1905年、24歳の時に宣教師として来日し、以来、近江兄弟社の設立をはじめ、我が国の多数の文化財の建築を行った著名な建築家でもあった。日本に帰化したヴォーリズは戦時中も日本に留まったが、その間に社員は散り散りになり、戦後再結集されたスタッフが十文字教会の建築を行ったと思われる。

では、なぜ戦後間もなくの一地方の教会がこのような一大事業を行うことができたのであろうか。この謎を解く鍵は1935年に来日してこの街で伝道にあたったミルドレッド・クレイグ(Miss Mildred Craig)という婦人宣教師に負うところが多いのである。

「保守バプテスト日本宣教団」(Japan Baptist Fellowship)のウエブ・サイト(http://www.cbglobal.org/cb-japan. accessed April 23, 2012)は、米国の「保守バプテスト海外宣教師団」(CBFMS: The Conservative Baptist Foreign Mission Society)が正式に日本で活動を開始したのは、1947年であり、CBFMSが組織されたのが1943年であると伝えている。クレイグ宣教師はすでに1935年に独自に十文字で活動を開始していたが後にCBFMSに参加してその日本における活動に貢献したというのである。

そして私は、前記の十文字教会関係者の方々以外にも、後年さらに数名の方とお会いする機会があった。それは、私が参加していた東京聖書教会の役員の成田さんという方が十文字教会の出身であるというのだ。のみならず、私が在学していた神学校にその年入学した藤井力氏のお母様は成田さんの親戚で、さらに我が白石駅前の相場商店の店主も親戚であるというのだ。私は藤井力氏のお母様や実姉の方、またそのご主人にもお会いしたことがあるが、何れの方々もとても誠実な信仰厚い方々ばかりであり、クレイグ宣教師に対する絶大な尊敬の念を表明していたのだ。

私の手元にある「The Japan Christian Year Book 1962」に登載されたクレイグ宣教師の連絡先は前記の成田氏の自宅と同一なので、あるいは晩年のクレイグ氏のお世話を成田氏一家がされていたのかも知れない。その場所はもともと成田氏の実兄が事業を営んでいたところである。クレイグ宣教師は、横浜にあった「共立女子聖書学院」(後年の東京基督教大学併設共立基督教研究所)でも教鞭をとっていたと思われ、筆者の手元にある『学校法人東京キリスト教学園同窓生名簿No.2』(東京キリスト教学園・同三校同窓会,1984.11.20)には、連絡先としてフロリダ州の住所が掲載されている。すなわち、最晩年は米国で過ごされたと考えられる。また、米国の「ビリー・グラハム・センター」の文書館にクレイグ宣教師関連の資料が保管されている模様である(http://www2.wheaton.edu/bgc/archives/GUIDES/379.htm. accessed April 23, 2012)。

正確な時系列の流れや人的関係については残念ながらその詳細を知ることはできないが、秋田県十文字町で活動したクレイグ宣教師の人と信仰を、私が出会った人々は少しも失うことなく継承しているように思われる。

<写真>現在の十文字教会のサイト(http://jumonji.holy.jp/guidance. accessed April 23, 2012)に掲載されたかつてのクレイグ宣教師と関係の人々。筆者の記憶に間違いがなければ、中列右から二人目は藤井力氏の母、その向かって左隣が成田氏夫人、後列右端で横向きの人物が成田氏である。
画像





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック