茨木のり子展を見てきた。

茨木のり子展を見てきた。

去る6月21日(土曜日)、上北沢からの帰りに芦花公園で下車し、世田谷文学館で開催されている「茨木のり子展」を見た。

「現代詩の長女」といわれる茨木のり子の作品は、清冽で、飾らぬことばによってストレートに人のこころに届く特徴がある。「わたしが一番きれいだったとき」はその中でもおそらく最もよく知られている作品だ。当初は戯曲作家として知られるようになったが、昭和25年(1950年)に医師の三浦安信と結婚して以後詩作を始め、雑誌『詩学』への投稿を経て、同人誌『櫂』に参加、そこで川崎洋や谷川俊太郎等と交流を持つ。とくに谷川とは終生の親友であった。世田谷文学館での展示は、驚くほど立派で、詩人の生涯と作品の全貌を知ることができる。

詩人茨木のり子の生涯で、特筆すべきことのひとつは、夫の死後、1976年から、韓国語を学び、韓国現代詩の紹介を行ったことである。1991年には、『韓国現代詩選』で読売文学賞を受賞している。また、晩年(73歳)の詩「倚りかからず」は、自律的詩人の魂の充実を伝える作品でもある。

実はこの日、かねて注目していたシンガーソングライターの沢友恵の記念コンサート「茨木のり子を引き語る2<茨木のり子の詩と現代詩を歌う>」が夕方から同じ文学館で開催されたのだが、予定がつかず参加はできなかった。沢知恵の母方の祖父金素雲(キム・ソウン,1908~1981)は、韓国で文化勲章を受章した詩人で、祖母は韓国の民主化の母金韓林だ。父沢正彦(1939年,大分県生まれ)は、東京大学法学部、東京神学大学大学院、韓国延世大学連合神学大学院、プリンストン大学等で学んだ牧師、知恵の母金纓(キム・ヨン,1948年,韓国釜山生まれ)とは韓国延世大学で出会い、結婚。金纓は夫と同伴して来日後、東京神学大学大学院で学び牧師となった。

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